シ清水保6 僕は幼少期に喘息で苦しんだことがありましたが、向き合うことで身体とアレルギーの知識が高まり、自分の身体と対話することができました。また、喘息の治療の一環としてスピードスケートという競技を始めました。喘息がきっかけで競技に出会い、自分の身体に関する知識がより高まり、オリンピック出場へも近づいたのです。 もし僕が喘息やアレルギーがなければ、オリンピックで金メダルを取ることもできなかったし、選手生活を長く続けることもできなかったと思います。 更にはその経験をもとに、現在地元北海道では、リハビリ施設、介護施設の運営、スポーツジムを開設、運営したりと、それが今の仕事にもつながってきています。 アレルギー患者の方々が、アレルギーであることに対してただ悩むのではなく、それを自分の身体と向き合うきっかけにし、何か新しい気づきを得るための機会として捉えてもらえるように、お手伝いができたら幸いです。Profile長野オリンピック スピードスケート金メダリスト 北海道千歳リハビリテーション 大学客員教授 日本スケート連盟 理事Biography3歳からスケートを始める。91年浅間選抜500mで日本高校新記録を出し、全日本スプリントで総合4位に入り脚光を集める。93年18歳でW-cupに初出場初優勝という快挙を成し遂げ世界のトップスケーターとして注目を受けた。以来長年に渡り、世界のスピードスケート短距離界の第一人者として活躍。幼少の頃に気管支喘息を患うが、喘息と向き合いながらトップアスリートとして活躍する。五輪オリンピックに出場し、金メダル獲得まで果たした。長野オリンピック500m・金メダル、1,000m・銅メダル、ソルトレークオリンピック・銀メダルを獲得した活躍は、日本中に興奮と感動を与えた。2010年3月をもって現役を引退。引退後、喘息の啓蒙活動、講演会・イベントへの出演、執筆活動等、文化人として幅広く活躍中。また、現在は北海道札幌市に訪問看護ステーション・トレーニングジムをオープンし、スポーツ選手のセカンドキャリアとしての活動も積極的に取り組んでいる。Activity History<TV>・ NHK「サンデースポーツ」「ファミリーヒストリー」・ HTB「未来の金メダル」・ EX「Get! Sports」・ BS11「僕たちのふれあい介護」<ラジオ>・ TOKYO FM「LETTER for LINKS」・ ニッポン放送「リポビタンDプレゼンツ スポーツリアルトーク」<書籍>・ 「ぜんそく力 ぜんそくに勝つ100の新常識」(ぴあ)・ 「プレッシャーを味方にする心の持ち方」(扶桑社)・ 「金メダリストが考えた 世界一の腰痛メソッド」(マガジンハウス)<講演会実績>・ 特定非営利活動法人 世界開発協力機構「スポーツ平和サミット 東京大会」・ 松本大学 人間健康学部 スポーツ健康学科「松本大学講演会」 他多数他多数他多数ミズヒロヤスタレント 宏特別発言
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