宝函 Vol.44, No.2 2023
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ギフテッドという言葉は、最近日本においても聞き慣れた言葉になりつつある。だが現実として教育現場において正しく理解されているとは言い難く、実際に配慮や支援が行われていない現状すら存在する。文部科学省では、「特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議」(以下、有識者会議)が立ち上がり、2022年9月に「審議のまとめ」が出され、行政としても知的能力の高い児童生徒への理解、支援が検討されるようになってきた。この有識者会議では、「ギフテッド」という用語を用いていない。有識者会議の見解同様、筆者自身もギフテッドという言葉に多少なりとも違和感があり、保護者からの相談の中で、自分の子どもをギフテッドと呼ぶことで「自慢している」とか、「頭がいいと思っている」「特別だと思われたい」と思われるのではないか、という懸念をよく聞く。松村暢隆先生(関西大学名誉教授)も述べているが、医学的な診断名ではなく、統一的な定義もなければ意味も曖昧であり、誤解や誤用が生じやすい。ギフテッドは、教育上何らかの配慮や支援が必要な子どものための「ラベル」にすぎないが、(欧米では)配慮や支援を受けるために必要なラベルであるともいえる。なお日本ではこのラベルがあったからといって、「特別な」教育サービスが提供されるわけではないので、日本においてラベルは不要であるとさえ思う方もおられるだろう。筆者は、支援者に対して子どもの特性を伝えたり、配慮や支援を頼んだりするためにはラベルがあった方が便利であると感じることが多い。極めて残念だが、教育的ニーズがあるから支援しなければならない、と思う学校関係者は少なく、ラベルがあり、そのラベルは支援を要するものであると理解して、初めて支援が行われることが多い。そこで筆者は、ギフテッドを「高い知的能力を持ち、さまざまな潜在的可能性を秘めた、配慮や支援が必要な子ども」と定義して支援活動を行っている。そのため本稿では、「知的能力が高い児童生徒」を「ギフテッド」の子どもとして話を進め、知的能力が高く配慮や支援が必要なギフテッドの子どもの置かれている現状と今後の支援の方向性について述べる。はじめに

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